なぜ、そのような考えや思考になっていくのか?

2023年1月29日:雑談

なぜ、人によって衝突を繰り返したり、全然人間付き合いがうまくいかない人がいるのか。色々あるだろうが…こういう場合という形で書いてみました。

私はなぜかそういう人たちと会ったり、話したり、交友関係を持つことが何故かしら多い。
もちろんぶつかったこともあるし、知り合いとして付き合ってることも多い。

しかし、交友関係を持っていくと起きてしまうのか書き出してみようと思う。
元は都内某所で単に仕事で封入作業という超単調作業をし続けているときに、整理された内容だった。
ある意味。これはそれを口述筆記のようなものになっていくだろう。

「自己愛」が強いとの優越性。

自己愛というと、ナルシストとなるがこれは外見ではない。
己の価値観や考え方に対するものだ。これについては深く書きたい。

すなわち、己のその考え方や価値観が正しいか、またはそれを尺度にして物事を語ろうとする。
これはどのジャンルでも同じである。
さらに、そのような人は自分の考え方や価値観と相反したりすると、周囲は自分の考え方を認めてくれた人達がいるから、自分のことを認めてくれる人がいる。
なんやかんやそういう人はグループや味方がいることも多い。

だから、己の尺度で世の中見ていくということだから、価値観や物事すら見ているとなると…
その理想から離れたり、それが間違ってる人間に対しては、是正を求めたりするだろう。

ある意味。極端な承認欲求の塊になりすぎてるとも言えるかも。

しかし、場合や言論内容にによっては…アンチや反対者と受け取るだろう。
その人達が信用置ける人達だったのに、裏切りと見て、昨晩まで仲良く会話していたのに朝日が昇った瞬間に裏切り者という判断をしてしまうのだろうと思う。

ただ、全てが物事全て正しいとは限らない。修正の修正や状況に応じることもあるだろう。立場もある。
人間関係で「もしうまく人間関係が回ったとしても、間違っていたらどうする?」という点になるだろう。

しかし、それでも己の物差しで測って物事を見ている以上は、その点を認めない扱いになってしまうのだ。
たしかに私たち人間は生きる上でなんらか物差しは持ってる。
これが行き過ぎている点があると思う。

そして、自分の優越性や有利や不利を考えているからこそ、たまに先鋭化していく場合もあるだろう。
結果として、自分は特別的意識も動くかもしれない。
だからこそ、己の価値観と言った点で理想が高い場合は、その完璧さを己もそうだろうし、他者にも押し付ける点はあるでしょう。

価値観の思考が業界や自分のやってることがためになる!

それが極端に行き過ぎてると思われる。
なぜならば、自分の考え方や価値観こそが、それに対して(物事や世界)にとっては良い事であり、それを批判したり、認めない行為は非常によくないと判断してると思う。
だから、そういう人達は「ぶつかることで全て解決」しようとする。または説得だろうか。

それだから、人間関係が壊れてしまうのではないのか?って考えるかもしれない。
でも、己が正しいと判断してる以上は、数年すると行き過ぎた行為と認める時もあるが、それを受けた側は忘れてはいないからこそ、そのまま人間関係が回復しないと思う。

ただ、思考の硬直化を招いてしまうのは事実だと思う。
なぜならば、新しいものを受け入れるのがなぜかそのような人はできない人をたまに見かける。
そして、己や相手に非はある状態であっても、相手がいけないから謝罪や非を認めることはない。

逆にこのような行為で、非や謝罪という行為は屈辱的になってしまうのかもしれない。
それは、自分にとっては「よかれ」と思って動いているからだ。
だから、そのような行動になった人に対しては、行動を自分の考えや自分が賛同していた頃に戻らない限りは認めないとなるのだと思う。

己で酔いしれてる分はいいが、周囲に同調を求めるのは・・・って、感じるけどね。

重要だが
別に全否定をしてるわけではないのに、その考え方をたまに全否定と思い込んでいるというのがこの点で一番大事と思ってほしい。

白黒・0と1の判断

これはまずいうが、自己正義ではない。
しかし、そのように動いてるように見えてしまうかもしれない。
こうみていくと人間関係で柔軟性にかけているのでは?って感じる人は多いと思う。
それは、己は「非」がなく「己の前提条件や考え方」がまずあり、「それが正しい」という思考から生まれてると思う。

  • その結果、もし間違っていたらどうする?
  • それで迷惑かけていたらどうする?

世話焼きな自分はたまに考えてしまうことは多い。

その辺の観点が起きてしまうだろう。その点は個人的に考えてないと思う。これは人間なら考えてしまうだろう。
なぜならば、自分中心に物事を周るか、自分が正しいから突き進むという点が起きるからだ。
だから、他の点で問題ある場合は、問題でないのにも関わらず、それにより「トラブル」が起きたらどうする?という具合に思考は考えていくのだと思う。

そして、いくら信用できる人だろうが、己のことを考えてくれる人だろうが、まずは白黒判断に陥りやすいと思う。
そのために柔軟性に欠けてしまうと思う。

いくつか経験はしているが…
「これは間違いなくこのようなことが起きてるに違いない!」
と言っていたことがあった。

しかし、私はその件は詳しく知っていた面があったので、言って見ると…
「それでも絶対に起きてます」
「起こす方法がない」
「それでもー」という具合に持論の展開に陥っていく。

なぜ、こんなことが起きてしまうのか。
それは、多分…
自分の目の前でそれを見ない限り、それを認められないという状況なのかもしれない。

アドラー心理学みたく言えば、決めつけをしてしまい、統計や実態というものより、自分の世界というのだろうか。
「それが起きてるはず」という具合に物事が進んでるはずという感じになってると思う。

しかし、それでも認めないかもしれない…

なぜ、こうなるのか。

なんでもかんでも、己の考え方や物事が通らない場合と言った点で、即アンチや反対者とか色々なんでもかんでも決めつけてるのは、正直なところ恐い話だ。
ネット上で炎上してもだ。
そして、人同士で数年前までは昼飯を食う仲の人が・・・もう仲違い起こしてるというか・・・
「俺はもうあそこで提案した内容は受け入れられない!それに認めてくれないから!いい!」という喧嘩腰になっていくために、せっかく色々面倒みようとしても、そうなってしまえばみたくても見られないというのが現実に起きてしまってるのも事実だと思う。

じゃあ、ここまで起きる理由はなんだろうか。
「過去。成育過程までさかのぼる」と思う。
またはトラウマだろう。

褒められた経験がなかったり、なぜかコミュニケーションしていくと話題についてこれなくなったり、新しくこういうこと初めてみたと言っても…認めなかったりすることも多い。
そして、我慢も強いられてる人生を送っていたのかもしれない。

そうなると、警戒を解く方法がわからない。というオチに陥ってるのかもしれない。
しかし、これだけでは己の考えや思考が正しいだけは陥らないと思う。

そして、己のことを認めてくれなかった…。認めることが出来なかった。というのはあるかもしれない。
これは自己肯定感の問題に繋がってる気もする。

そして、属してるコミュニティに対して、己の賞賛を要求を強くしてしまう点はあると思う。
だから新しい点やわからない点に対しては、その人に対して共感ということは難しいと思う。

逆にたまにパワハラ体質に陥りやすい

というよりも、己に自信ないからこそ・・・
先鋭化や強気に出るケースがあると思う。
例えば、群れやすいと書いた。

過去に色んな人が群れていたが、会社でいうなら人員をほとんど入れ替えレベルで入れ替えていき、自分の考えや思考。価値観や進めることを認めてくれる人達のコミュニティを作っていき、そのコミュニティで自分が有力者や中心メンバーの一つになったらどうだろうか。
そうなれば、己のことを認めてくれている。

追い出した人達はどうなるのかとなれば、影口を叩くケースはあるだろう。いや、ある。(ま、今いる人達だって言う人はいるだろう。人間だもの)
そして疎遠になっていく人も非常に多い。
さらに、先に書いたが喧嘩別れした人も多く聞いてる。だから「なんで喧嘩したの?戦争?よくわからない」というのが個人的にある。
そうなれば、人によって仲違いやその人に色々教え込んだ人ですら喧嘩別れしたらどうなるだろう。

いくら仲いい人達でも、方法論の行き違いは人間なのだからある。
でも、それは認められないのか、ありえないのか、その辺はわからない。
しかし、認められないのかもしれない。認めるケースもあるので何とも言えない。

それは…。自分より知識が上回る人であり、自分の考えややり方は正しいが、そこに何も言わないと言う人材ぐらいだろう。

自分が正しいという点から始まってる以上は、そこは変えられないのかもしれない。
だからこそ、自分より立ち位置が弱い人に対してはたまにパワハラ体質に強い要求を言ったりすることはあると思う。
結果として、参ってしまいちょっと体調崩した人間がいたとか聞いたこともある。

もしかしたら、自信の裏返しだったのかも。

うまくまとまってないが、群れることで自分の価値観を見出すことで、自己正当化を図り、自己肯定感や他の人も認めてくれることを進めてる気もする。
そして、退路を用意してるケースもある。
たしかにそういう人はいるだろう。
でも、違う点は属してるコミュニティにおいては、自分はこのように言うからこそ、自分の価値観があるという保証がほしいのかもしれない。

そして、自信がないからこそ、悪口や批判に非常に弱い。
自分の考えや価値観を認めてくれる人に集まる傾向は非常に強い。
それで、その人達が自己肯定感と言う名の「己のことを認めてくれる」からこそ、自分の存在を確立してるのかもしれない。
それで、自分の存在意義や価値観を認めてくれる人たちがいてくれるのが嬉しく感じたい。
だから端的に言えば、承認欲求があまりにも強すぎると言ったんだ。

そういう人は逆に攻撃的になることも多いだろう。そしてコミュニティや自分のことを支持や応援してくれる人たちに支配的になるのかもしれない。

さいご

うまくまとまらなかったが、元は都内某所で単に仕事で封入作業という超単調作業をし続けているときに、浮かんだり、整理した内容である以上は完璧ではない。
それだけだ。

そして、思ったことを書いただけだ。私だって完璧な人間どころか、欠点が多い人間と思ってる。

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