救急搬送された日

2020年5月14日:病気や障害

5月11日(月)午前中。8時頃だろうか。
突然ブログ記事を入力していたときにめまいが突然襲い、まずいと感じた時には遅かった…。
文字やモノを見ようとするとピンとが合わないのだ。

椅子から立ち上がると、突然歩けなくなってきた。
歩けるが、頭が頭痛というより、重いような気がしてしまう。その結果…。
歩くことができなく、壁や手すりがないと歩くことが出来なかった。

今回はそれをまとめておこうかと思う。

問題や前兆は9日に起きていた?

実は似たような現象は今回が初めてではない。
5月9日(土)にもめまいが襲われ、あの時は頭痛だった気がする。
しかし、両目で見るとピントが合わないだけで、片目でみるとピンとが何故かあった。
このような症状は考えていくと、暑かったり、寒かったりもした時期だし、部屋も間接的に温かくなる傾向が多い。
そうなれば、熱中症ではないか?

それに熱中症の初期症状と思った。

さらに言えば、昨年もあったし、3年ぐらい前だろうか…。それもあった。
そう考えれば、いったい何がおきたのか。またわからないのが現実なのと、原因が何か…その辺はまだ不明ともいえる。

5月11日…

重要なのは9日でこのような事態が起きていたため、胃に優しい食事。そして塩分接種を心がけていた。
事前に全然栄養が足らないとかあれば別だが、起きたばかりであれば当面気をつけるのが世の常だと思う。
気をつけてはいた。

さらに、塩水を作って飲んでも…。しょっぱかった…。
これが9日の状態でした。

あれは8時頃だと思う。
朝早く…。あまり寝れない日でもあったので、朝早くから作業をしていたのは覚えていた。

症状起きた後

まず最初に書いた通りにWordPressの投稿画面で文字入力している最中だった。
最初になんも事前予告もなく、頭痛もなく、いきなり…。
ピンとがあわなくなっていくんだ。キーボードで入力しているのにいきなりなんだ。
それでは、前兆というのはわからない。

ここからが大変だった。
それにキーボードは基本的にブラインドタッチ。さらにスマホのタイプもよくやってるさ。
それなのに、打とうにも打てない。まずピンとがあってないから文字が入力されているのは事実だが、思うように文字が入力されない。

水を飲もうとしたのか、何したかは記憶にない。
立ってみると、ふらつく…。
そこで、歩いてみると全然まっすぐあることはできない。

さらに、そこから歩こうとしても前か何か倒れるような感じで辛うじて歩けるという感じで、とてもじゃないが…
手すりや何か壁なり机なり棚といったものがないと歩けない状況だった。

そこから、まずは近所のクリニックに電話を入れた。
状況を細かに説明をできるだけしていくと、MRIで撮ることを勧められて行き、市内の総合病院に行った方がいい。自力で行けない場合…

救急車を呼ぶ必要もある。

「そこまで行くことになるのか…」そう思いつつ。
そこから、いくらてんかん発作で発作をどっかで起こして3回ぐらいは搬送され、気づいたら点滴としらない天井という世界は経験している。
警察有無も通報経験はある。

しかし、救急車を自分のために自分自身が呼ぶことは経験は一切なかった…。

番号を間違い、110番してしまった。これは警察ってことは頭が働いてなかった。謝りつつ切り。
その後、119番に連絡をして…。まずは救急相談に連絡することにしたが、繋がることがなかった。

この時に口のろれつが回らない。なんというか。
中高年でいる、ろれつが回ってない人っていうのはいると思う。あんな感じ。
しゃべってはいる。でも、確実にろれつが回ってない。。部分的に。

結局119番を呼ぶことに。

実家に連絡するか、悩んだ結果…。
119番に連絡することにした。。細かく状況を説明できる限りして、救急車が来てもらえることになった。
問題なのは…。本人が通報。本人が搬送される。
始めての経験だらけで…。とてもじゃないができない。

でも、やらないといけないことでもあった。

救急搬送の前にやること。(通報後)

家に入って貰うしかない。歩こうとしても自力で歩くことは実質困難な状態。
汚れ部屋だが…。

まず言われたのが、戸締りをしてほしいこと。さらに自宅のドアは鍵を開けておくことの2点。

こんなの普段なら問題ない。
でも…。
やらざる得ない。。まず網戸にしていた部屋に入り、無理矢理体を動かしてなんとか窓の戸締りを全部できた。
ドアは鍵をかけず、靴でドアを開けておけばいいと思い、挟んでおいた。

そして、搬送先は想像はできていた。
その次は手ぶらで行くわけでもいかない。。

意識はあったので、無理矢理いつものカメラバック(7kg)をなんとか持ち上げ、玄関に置いて、薬手帳から病院のカードから保険証を全部そろえたことまで確認していた。
言われた通りにあとは楽にして待っていた。

救急搬送開始。救急搬送へ

救急隊員が家に入ってきたが、施錠してない扉から入るのはいいが…。
私が救急隊員に支えられながら家を出た。

問題なのは施錠。。
施錠しないと不用心だ。万が一。最悪の事態を考えれば…。1日強制入院コースもありえる。

そこは救急隊員が持ってもらったバッグから鍵を出してもらい…
無事に施錠することはできた。

そして、救急車の前に置かれたストレッチャーに途中から乗せられて、ようやく救急車に乗る…。

すぐに出ることはなく。まずはよく行く病院。そして持病の有無。さらに薬手帳の有無を聞かれて。
それらはバッグにまとめていたので、全部救急隊員が出すことになる。出してもらうことになった。
ただ、薬手帳はうまく伝わらず…。諦めた。

そのため、すぐに発進することはない。無線で何度もお世話になってる総合病院とやり取りするということでようやく出発することになる。

次は症状。症状有無を語れるだけ語った記憶がある。

さらに家族がいる場合。救急搬送時に連絡することが決まっている。
ただし。いきなり救急隊員が電話すると驚かれるということで、意識もあるのだし、自分から電話することになった。
そして、救急隊員が代わり、細かなことは救急隊員から連絡することになった。

ようやく病院についた!

もちろん。救急に寝かされた。
その後はよく寝たり、まずは点滴打ったり、MRIと心電図取りつつ…。
検査結果は問題は結局なく。。

途中Twitterでつぶやくこともできたので…つぶやいたり。(え?うん。できるんだよ。)
それぐらいの元気はあった…というより回復してきたというのが正しい。

その後は異常なしということだった。
それで帰されることになった。単に家族に連絡した理由はたしかに決まり事でもあるが、帰宅する時に足がない…ということもあり、足を頼むということでもあった。

原因が不明ということもあり、脳でなく眼が原因なのか…。細かな点はこれからゆっくり見ていかないといけないかもしれない。

実は、これらは…。脳梗塞を想定した内容でまずは進めていた。。
たしかに内容的にそうなる。初期症状有無考えれば、脳梗塞という最悪の事態を想定しないとならない。
もちろん。そんなことはなかった。

とはいえ、元気とはつぶやいた時も結局まだまだ歩くのはきつくて…。
車いすを使ってトイレに移動していたぐらい…。。それらの解消は正午過ぎてようやく解消したような気がする。それまではとてもじゃないが…。

ぐだぐだだが、今後のデータ化として残しておくことにしておく。

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