病気における人との付き合い…
2019年11月14日:病気や障害
病気をてんかんや発達障害(高次脳機能障害)とあると、なぜか、たまにややこしくしてしまうのは人間関係。
なぜこれがややこしくしてしまうのがあるのか、ちょっと見てみようかなと思ってます。
もしかしたら、うまくまとまらなかったり、続編とか生まれるかもしれません。
しかし、これはあくまで私がまとめた内容です。
そもそもなぜうまくいかなくなるのだろうか
人によっては、それはないという人は私が思うのですが、そういう人に会ったことはないと思います。
または、その人に視界に入らない人生を今まで送ってきて、楽しくわいわい同じ価値観や考え方の人たちを組んでやってきて、ほとんどそういう人たちに触れないでいて、またはスルーしていく。
最悪なことは、排除をしていった。
それだけです。
いざ、そういう時。職場という仕事はサバンナの動物のように追い払うこともできません。
なぜ、こんなことが起きるのか見ていきたいと思います。
意外と経験のみでやってないか?
病気を持っている当事者と第三者の視点が異なるのは事実です。
分かる人は経験のみで行わず、意外と距離の取り方というのがわかる人やその辺はきかないでいよう…という具合に、業務遂行上問題ないならば…仕事では文句をいう必要性はありません。
特に発達障害の現場でもてんかんでもそうですが、個人的には「病気あっても業務遂行に問題なくトラブル起こさなければ問題ない!」という具合にご都合主義にこれは写ってしまうが、合理的配慮という面でみれば、ある意味これは一理あると思います。
なぜならば、合理的配慮と配慮は違うからです。
そして、病気や障害というのはオープンにしている人でも隠したいコアみたいなことはあります。
そこには触れたくないとあるでしょう。
ここから重要なところになると思います。
距離を詰めすぎなの!
この辺がうまい人やうまく付き合った例をよく考えていくと、距離感をうまく作る人だったようにも思います。
逆に「とにかく話そう!」や「理解したんだ」とか「辛いなら話してほしいんだ!」という具合に距離を詰めよってしまう人もいます。
重要なのは、先に書いた通りにそれしか脳が学んでいないためにどうしても、どう頑張っても、話していっても、結局は…。
さらに距離を離そうとする人は距離を離すでしょう。そのため大人ですらそれが起きてしまうのは必然だと思います。
そうなれば、また詰めようとするか、なんでそうなのだろうか?って具合にどんどんわからなくなっていきます。
私は俗にいうヒッキーで陰キャみたいなとこがでかいですが、表でガンガン活動されてる人や会って何か食べよう!とか、まずは話してちゃんと…ってなる人は、意外と苦手なとこもあります。
なんで「そう距離を詰めていくんだろうと」そう思ってしまうんです。
単にSNSやTwitter世代は単に書いたことも、真に受けてしまうこともあり、それを必死になってしまうこともあるのは…。
これはジェネレーションギャップもあるかもしれませんね。
当事者・第二者・第三者の視点
あと、当事者・第二者・第三者という視点です。
病気や障害では尚更です。
当事者は当事者にならない限りは、病気や障害の大変さや苦労してることは理解できません。
私も発達障害で持ってない要素は理解できませんし、精神疾患なら尚更です。
それで第三者の人がうまく話す時に思うのですが、距離を保ってきちんと生活をするのが大事ですし、距離を保ってくれるのがいいのですが、残念なことに、理解したいあまりにグイグイ違づいた結果…。
人間関係が崩壊することもしばしばみています。
距離を詰めた側は心配だから近づいただけ。ということですが、問題なのは詰められてしまった人です。
せっかく、人間関係や社会性も氷が解けたように重い扉をあけているのに、ふさぎ込む結果を生んでしまい、結局はうまくいかなくなってしまう結果を生みます。
それがうつ病とかあれば…。その詰めた人もなんか生まれるでしょうけどね。
この記事のトラックバック用URL
コメント