SNSやTwitter疲れがなぜ起きるのか?
2019年9月25日:雑談
昨今、SNSやTwitterが社会の隅々に入り、社会インフラの一つと化しました。
使い方がわかる人や、特性をみて使うものを判断しているようにも感じます。
Twitterは即応性の強さがあり、Facebookは1日一回やゆっくり更新した時の強さという具合にあります。
ただ、依存しすぎると恐い現象も起きてしまうのが、SNSやTwitterだと思います。
深くやりこむと、色々な情報が入ってきます。
しかし、問題なのはTwitterは即応性と書きましたが、情報の伝達は早すぎます。
嫌な人にも公開してれば出会います。
嫌ならブロックやリムーブすればいい。
やりこめば色んな人と出会います。そうなれば嫌な人もでてくるでしょう。
バッサリ切ってしまえば、極論ですが…。たしかにそうです。
これが恐いとこがあります。
何故ならば、自己管理できちんと自分をコントロールできるなら、Twitterならガンガンブロックだのリムっていいと思います。
精神関係的に大事ですから。
それができなくなれば、一人よがりになっていったり、自分の合わない人を片っ端にブロックしていけば、何が残るかとなります。
でも、己自身をコントロールできてるならいい。
例えばそれができなくなるのに気づかないうちに、周囲は恐いイメージがつくせいで、SNSなのになんもいいねもリプもなくなる。
意見の差異や価値観問題はあります。
SNSやTwitterなんて結局オレオレルールなんだよ!
私は思いますが。
結局。
SNSやTwitterは、オレオレルールなんですよ。
どんな人でも自分のアカウントで実質独裁者になってるんですよ。
自分が決めるのですからね。ブロックやリムーブも。
オレオレルールなんですよね。
やり過ぎると、歴史でありましたが。
猜疑心が強くなり、思考も硬直していくんですね。
良いものあってもです。
広い視野でやればいいんですが、できなくなるんですね。
TwitterやSNSはアジテーションができる装置です。分かりやすく言えば。煽動です。政治色なくても同じです。
反論を封じまくれば、独裁だの思考が凝り固まってしまい、柔軟にかけてしまう。
コミュニケーション取るツールでもあるのに、それはまずいわけですね。
脳医学的に歴史を見た人がいますが、かのヒトラーからスターリン。そしてレーニンも萎縮していっているんですね。
政治家ならまだしも、市民がTwitterやSNSを使う時にコミュニケーション取れなくなってしまうなんて、笑ってしまうじゃないですか。
でも、それは起きてしまうかもしれません。
それがSNS疲れかもしれない
言葉としては聞きますが、自分のことを認めてほしい。自分のことを見てほしいとなっていったり、反論を封じるという姿勢を強くしすぎていくと、人間ですから疲れていきます。
そして、SNSやTwitterは視野を広くすることもできれば、狭くすることもできるツールです。
それがSNS疲れかなって感じます。
視野を狭くも広くもできるツール
友達やフォローするのは、たいてい身内や興味ある話になります。
そうなれば『周囲はこうだよ?』と言い張っても、一歩外出ると、変わることもありますし、『この人が凄い!』とも見ても、一歩外出たらどうなるでしょうか?
色々なものを見れるツールですが、逆に遮断もできるツールじゃないですか。
腹八分と言葉がありますが、腹八分で意見の相違があっても収めるのがベターと思います。
さいご
このほかにもネット上の人間付き合いや言葉のやり取りという点もあると思います。
多分、色んな見方をすれば根掘り葉掘り出てくると思います。
インスタやfbはちょこっと聞くと、いいねの数を非表示にする動きもあります。いいねの数を気にしてしまうという点ですね。
フォボ(いいね)やRTだのリプまで毎回気にしたら・・・身が持たないですよね。
追記:私はどんなことあっても、今もブロックもリムーブもしない主義なせいか、なんもないですが。
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